●「代謝実感」とは、「意識」と「身体」をつなぐ感覚
大自然と一つになっている感覚であります
好きなものを好きなだけ食べる。当然のことでしょう。誰もが日々、そう生きています。
スーパーマーケットややコンビニでも、食堂、レストランでも、家でも、どこでも腹いっぱいになるまで美味しいものを食べる。まったく普通のことです。この状態を「放縦」といいます。「自由」ではないのです。
想いのままに食べられる日本は豊かな国です。その自由は、変化して「放縦」となるのです。
「自由」とは自らを律することにあります。現代社会は「放縦」と「自由」の違いを理解できない人が増えているように思うのです。
●「食べすぎ」の毎日は、身体の暗転を生み出します。
好きなものを好きなだけ食べている人は、身体が徐々に暗転してゆきます。病弱になります。健康的な生活、健康的な身体が忘れられてゆき、その行動の軽快さも…忘れられてゆきます。美味しい食生活によって、健康を犠牲にしているのかも知れません。日本は豊かです。そこそこの中流クラスの生活でも食生活は十分に満たされます。そして、私たちはどこか病弱になり、医薬品やサプリメントで補っているのです。
そんな生活の中でも、酵素玄米ごはんを何食か続けていただくと、わかることがあります。
まず、身体は軽快になり、目覚めがよくなります。「こんなに身体は軽かったの?…」との声をよく聞きます。そんな中で顕著にあらわれるものが、排泄による爽快感です。自然の力はすごいものです。
朝、目覚めとともにおトイレにゆきたくなり、太くて大きいのを一本、ボンと出してしまいます。思ったよりも大きいので驚きます。気張ることもなく出したのに、見たら大きいので驚きます。そして、お尻をふいてもよごれていないということです。そのような排泄の体験をされることになります。そのとき、まるで肛門が「身体によい、食事をしてくれてありがとう」と言っている感じがします。これが「代謝実感」です。
身体の抱く「代謝システム」が、「表面意識」である私自身に語りかけてくるという感覚です。これは、酵素玄米ごはんの大きな特徴だと思います。
なぜ、そのようなことが起こるのか。それは、身体が自然界のシステムに支配されているからです。私達の身体は自然の一部だからです。身体に入った異物(食事)を「異化・同化」をして外に出す。その力がはっきりと自覚できるのです。
●自然界のシステムは、入ったものをしっかりと出すことです。
外界にある異物(食事)を身体に取り込み、エネルギーとして吸収(同化)し、不必要なものとし排泄(異化)をする自然界の力だと思います。長岡式酵素健康法とは、その力がはっきりとするのです。身体のもっている大自然会の一部としての自然の力が静かにみなぎっている感覚です。人間の抱く、元々の力です。身体は「よろこぶ」という反応を示します。健康とはこの実感を持った毎日によって訪れ、同時にこの感覚こそが健康の感覚だと感じていただけるはず。
この感覚が酵素健康法の大きな特徴です。身体からの『これで、いい』とのメッセージを受けての安心感が引き出されます。それは、身体の持つ意識と大自然につながる感覚。大げさな表現かもしれませんが、大自然に生かされている「生きとし生けるものの、よろこび」ではないかと思っています。
●自然界の「つながりの不思議」と「当たり前」の感覚について
自然界の営みの不思議や身体の不思議を、とりあげればきりがないかと知れません。自然の営みも身体の不思議も、私たちの日々は、当たり前として、平々凡々な日々を過ごしています。
これらの不思議は、「知ろう」とか、「見よう」としない限り知ることも見ることもできないのが真実なのです。決めつけ感覚を見破り、目を開いて自分から「知ろう」とすることができるのなら、世界も身体も、さまざまなメッセージを発していて、新しく生きること、新しい真実を知ることができるということです。
当たり前の感覚、決めつけの感覚、先入観と向かい合うことは、とても、大切な健康へ道だと思います。
●簡素な食生活。そして、毎日の仕事に精を出し、自分の果たすべきことを果たしてゆこうとするとき。そのようなときに本来的な健康へ立ち還れるのではないでしょうか。まずは、食生活の改善から身体の抱く力を感じていただけます。その始まりは、「代謝実感」だと思います。